コラム

働き方改革よりパラノイア的な惰性破壊を

2025年04月25日
中国駐在…変化への適応さもなくば健全な撤退

働き方改革の進む日本(特に大企業)ですが、私はこの風潮に危機感と違和感を持っています。人と同じことをやっていたら、突出することも卓越に至ることもない。今回はやや辛口に、横並び傾向にメスを入れます。

毎週水曜に配信するYouTube動画のテキストバージョンです。
小島のnoteをこちらに転載しています。

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全否定ではないけれど

働き方改革の主語は?

「働き方改革」。私、ずっとしっくりきていないです。まず主語は誰なのかというところに欺瞞を感じます。

「働き方改革」というなら、労働者一人ひとりが自分はどういう働き方を選んでいくかという改革であるはずです。だから「私の働き方改革」だったらしっくりくるのですが、これを企業側が提唱するのは何だかヘンです。企業が主体なら「働かせ方改革」でしょう。

行政は両方の意味を込めて使っているにしても、企業が旗を振る場合は素直に「働かせ方改革」と言えばいいのに、意図的に企業側と労働者側をあいまいに混ぜて論じようとしている点に引っかかりを覚えます。

他社と横並びでは埋没する

今、働き方改革というのは本当にどの会社でもやっています。大手になればなるほどやるのが当たり前、やらない会社はおかしいという勢いです。

思い出してみると、これまで目標管理とか成果主義、それからジョブ型、SDGs、パーパス経営などが同じような扱いになっていました。でも少し時間が経った後に引いた目で見ると、「そういうのもあったなぁ…」となっているものもあるんじゃないでしょうか。

そうした流行に乗って、今度は「みんなが働き方改革を唱えているから自分たちもやらなくちゃ」というのは、企業として思考停止だと思います。業界のリーディングカンパニーであれば注目も浴びますが、中小企業が後から追っかけたって埋没するだけ。経営上もプラスになるとはあまり思えません。

働き方改革一辺倒でいいのか

働きやすさ=負荷の低さ

念のためお断りしておきますが、私は決して働き方改革を全否定するものではありません。心身の健康を損なったり、大切な人を犠牲にするような働き方・働かせ方には共感できません。

働き方改革自体が問題なのではなく、すべての会社で同じ方向の働き方改革が既定路線のようになっているのはどうなのか、と言いたいんです。

各社が進めている働き方改革というのは、労働者の働きやすさの追求です。ざっくり言えば負荷の軽減。長時間労働など負荷がかかる仕事のさせ方はやめましょうという話だと思います。

しかし、負荷軽減一辺倒で本当にいいのか。働きやすさを大事にする人が多数派だとしても、働きやすさより働きがいが欲しい人もいるんじゃないでしょうか。

実は私の1社目の転職理由はそれでした。すごく働きやすい会社で、のんびりした社風でしたが、新卒で入った私はそこに危機感を覚えました。今まさによその会社でゴリゴリに鍛えられている同世代と比較したら、30歳になった時には自分の市場価値はないかもしれない。そういう焦りを感じて転職を考えたというのが転職人生の始まりです。

令和の今も、働きやすさよりも働きがいを求める人は(多数ではないにしても)いると思います。筋トレと同じように、高負荷環境に身を置いて自分を成長させたい人もいるんじゃないでしょうか。

なのに働き方改革では負荷は軽い方が正義、負荷がかかる仕事は悪。もっと働きたい、クオリティをとことん追求したいのに、会社から止められてしまう。そんな人たちは、気持ちをどこに持っていけばいいんでしょう。

そもそも、これを読んでいるあなたはどっち派か、考えてみてください。このタイトルに興味を持ってくれた人は、基本的にかなり硬派な仕事人のはず。どう考えても働きやすさより働きがいを求めて生きてきましたよね(少なくとも、私が直接知っている読者の方々はそうです)。

自分はそちらを選んできたのに、時代の風潮だからといって、高負荷環境を望む部下たちにまで軽負荷、働きやすさを押しつけることに疑問を感じていませんか。

採用はむしろ逆張り

採用の面で考えても、働き方改革一辺倒は中小企業に不利です。働きやすさを重視する求職者たちに向けて、中小企業が「ウチはこんなに働きやすい」なんてアピールしても、手厚い福利厚生を用意できる大手企業にはかないません。小さい会社はブランドや高処遇でも勝負できないです。

ここは逆張りでいきましょう。働きやすさではなく働きがいに全振りしている企業やポジションがあってもいいじゃないですか。特に中小企業や小さいチームはその方が自社に適した人材を集めやすくなります。

私たちの会社もこの方法を実践しています。最終面接では「ウチはまったくアットホームではないし、仕事の特性上、ワークライフバランスも追求しない」とはっきり伝えます。

外科医と同じで、緊急手術が必要だとなったら休日も夜中も関係ない。働きやすさを求めるなら来ない方がいいとまで言って、それでも来たい人だけ採用します。完全に逆張りです。

働き方改革 vs 惰性破壊

こだわり過ぎる人だけが生き残る

今回のタイトルは、インテルのアンドリュー・S・グローブさんが書いた『Only the Paranoid Survive』という本からヒントをもらいました。『パラノイアだけが生き残る』というタイトルで日経BPから日本語版も出ています。

グローブさんはその本の中で、「パラノイア(パラノイド)」を超心配性という意味で使っています。経営者というのは極端な心配性でなければならず、どこにどんな罠が潜んでいるか、外部環境に変化の兆しはないか、自社の持続性・生存を脅かす存在はないか、常に気を配りながら、油断せずに経営していかなければいけない。パラノイアだけしか生き残れないというのはそういう意味です。

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                                                           二つの意味がある

「パラノイア」を語源とする形容詞「パラノイド」には、「超心配性の」という意味以外にもう一つ「こだわり過ぎの」という意味があります。グローブさんの言葉を借りつつ、私は「こだわり過ぎ」の方を使いたいと思います。これからは「こだわり過ぎる人だけが生き残る」時代になる、というのが私の主張です。

理由は簡単。こだわりがいらない仕事はどんどんAIやロボットにもできるようになっていくからです。AIやロボットで回る仕事にまで人を雇っていては、今後は商売として採算が合わなくなります。

これまでの競争相手は同業他社やアジアの新興勢力でしたが、今後は人工知能がライバルになっていく。これは強力です。

過去の動画でもAIと働く時代について話しました。よかったら観てください。
AIと働く時代…チームづくりはどう変わるか

人間のチームがAIやロボットに代替されないためには、ある種のこだわり、熱狂、偏狂が必要です。これらを持たない会社は淘汰されていくでしょう。「そこまでやるのか」「圧倒される」「他には乗り換えられない」と言わせるくらい突き抜けて初めて、小さい会社は存在意義を示せます。

今、会社が惰性で動いていたら、それでは食べていけない時代に入ったと思ってください。AIを装備した新興ライバルが、もっとシュッとしたビジネスを、もっと短期間で、もっと高密度で、もっと低コストでぶつけてきます。こちらがユルさをぶっ壊す方向に偏執的にこだわっていかなければ、あっという間に潰されます。

働きやすさの先に熱狂はあるか

こういった熱狂・偏狂、突き抜けた仕事・チーム・人材育成が、働き方改革の先にあるとは私には思えないんです。

みんなが働きやすいように寄り添っていくのがダメだとは言いません。ただ、パラノイアしか生き残れない時代には、特に小さい会社の組織づくりは「この指とまれ」の発想でやっていくしかないのではと思います。

普通の中小企業では、面接に来る人たちが「どうしてもこの会社じゃなきゃイヤ!」ということは残念ながら少ないです。たまたま「どこでどんな仕事をしようかな」と考えた時に選択範囲に入っただけで、他にも選択肢があります。

だったら、「ウチはこうだ!」と突き抜けて、それを面白いと思う人にだけ来てもらいませんか。熱狂を求める働き方、ハードワークに共感する人だけが集まる会社もあっていいと思います。

今日のひと言

働かせ方改革なら両側あるべきでは?

「働かせ方改革」をするなら、ワークライフバランスを大事にする会社と、ハードワーク上等の会社と、両方あるべきではないかと思います。

決定的にライフ重視とか、徹底的にワーク重視に振れてもいい。負荷を軽くする方向に進む会社もあれば、高負荷環境を求める人間ばかりのチームもある。労働者には選ぶ権利があります。働き方改革の名の下に、みんなが同じ方向に進んでしまうのは少し気持ち悪いと私は思っています。

実は同じように思っているリーダー・経営者の皆さん。自分で陣頭指揮をとれるなら、大勢の流れに後からついていくより、自分の進みたい道を先頭で歩いた方が、そしてそれに魅力を感じて集まってくる人たちと一緒に仕事をした方が、きっと楽しいですよ。

この記事を書いた人

小島 庄司Shoji Kojima

多文化混成組織の支援家、Dao and Crew 船長。
事業環境のシビアさでは「世界最高峰」と言われる中国で、日系企業のリスク管理や解決困難な問題対応を 15 年以上手がけ、現地で「野戦病院」「駆け込み寺」と称される。国籍・言葉・個性のバラバラなメンバーが集まるチームは強いし楽しい!を国内外で伝える日々。