コラム

時代変化に適応する駐在員…リーダー術 吮疽之仁

2020年01月14日
日本流が通用しない時代の組織経営

年が改まりました。ミレニアムだということで大きな節目を祝っていたのが、まだちょっと前のことのように感じますが、もう二十年経ったんですね。私にとってはミレニアムより、あれから二十年経ったという事実の方が衝撃的です。そして、このコラムは十四年目に入ります。気持ちも新たに書いていきますので、今年もどうぞよろしくお願いします。

書き始めた十三年前から環境は大きく変わりました。最近、変化を痛感したのは、弊社の天津オフィスが入居するビル側との契約更新作業。これまで、二年に一度の契約更新時に家賃は上がって当たり前、交渉余地はかなり限られていました(注:ご存じの方も多いと思いますが、中国の大家と店子の関係は、日本よりはるかに大家が強く、飲食店経営における最大の脅威は、大家による非道な値上げだと言われるぐらいですから)。

ただ、今回は空きフロアが増え、ビル側も景気の影響を受けている印象があったので、スタッフに価格交渉を指示しました。しかし、ビル側から返ってきたのは「半年分・一年分前払いなら数%ディスカウントする」という話。交渉を継続する魅力を感じなかったため、すぐには応じずいったん放置、しばらく忘れていました。するとスタッフから「どうも、我々が反応しなかったのを見て、転出を検討していると誤解したのか、向こうから無条件でのディスカウントを提示してきた」との報告。棚上げしていたら、その棚からぼた餅が落ちてきたような結末となりました。五年前なら考えられなかった情況で、変化の激しさを思い知らされます。いまから五年後、どんな現実に直面しているのかと思うと、怖いものはあります……。

 

では本題。まねしようとすれば今日からでも実践できるリーダー術の例として、天才兵法家として孫子とならび称される呉起を挙げ、その生涯を紹介したところでした。

前回書いたように、人としては失礼ながらゲスな部類に入りそうな呉起ですが、そんな彼が率いた軍は圧倒的な強さを誇りました。天才的な発想や作戦があったからか。鬼神も避けるような武力があったからか。そういう要素もあったでしょうが、これらだけでは兵卒がついてこず、戦国時代を勝ち抜けたとは思えません。会社も同じですが、経営者個人の力だけでは、どこかで限界を迎えます。

呉起が使っていたやり方を示す有名な話があります。「吮疽之仁」という故事成語にもなっています。今回のタイトルにも載せましたが、吮疽之仁って読めませんよね。「せんそのじん」と読むそうです。きっと皆さんもどこかで聞いたことがある話だと思います。

 

ある村で、老婦人が自分の息子から届いた手紙を読んで、声をあげて泣き出した。それを見ていた近所の人が、「どうしたんだ、戦地に行っている息子さんに何かあったのか」と尋ねた。老婦人は「息子が前の戦場でケガをして、患部が化膿して熱を持って苦しんでいたら、将軍さまが、じきじきに、その膿を口で吸い出してくださったそうじゃ」と答えた。「そりゃ、とんでもなくありがたい話じゃないか。それなのに、なぜそんなに悲しんでいるんだい」と聞いた相手に老婦人は言った。「昔、あの子の父親も、呉起将軍に膿を吸っていただいた。それに感激して、命も厭わず敵陣に突撃して戦死した。息子の手紙を見て、これで息子も同じ生き方をするだろうと悟った。もう生きて帰ってくることはないと思うと、どうしても泣けてきてしまうんじゃ……」。

●駐在員が求められる役割を発揮するために必要なこと
①脱落しない
②バカにされない
③親近感を持たれる
④信頼・尊敬される
⑤後任者にしっかりつなぐ

●相互信頼・尊敬のために
□リーダーの実力を示す
□現場に寄り添う

2020.01 Jin誌

この記事を書いた人

小島 庄司Shoji Kojima

多文化混成組織の支援家、Dao and Crew 船長。
事業環境のシビアさでは「世界最高峰」と言われる中国で、日系企業のリスク管理や解決困難な問題対応を 15 年以上手がけ、現地で「野戦病院」「駆け込み寺」と称される。国籍・言葉・個性のバラバラなメンバーが集まるチームは強いし楽しい!を国内外で伝える日々。