コラム

「気をつけます」で許すのはモグラ叩きを招く所業 2

2024年03月15日
日本流が通用しない時代の組織経営

毎年、衣替えの時期になると、ついでに要る服と要らない服の整理もしますよね。私、あれが苦手だったんです……。色が褪せたり、傷んだりしている服は見切れるんですが、ほとんど着ていなくても、状態が悪くなっていない服は捨てられない。見た目が気に入っている服(でも十年で何度か着ただけ)はなおさら捨てられない。

だから、何年も何年も、衣替えの度に「これ、ぜんぜん着てないなぁ。でも状態はいいし、好きな服だし取っておこうかな」と逡巡しながら最後は残す。これを繰り返してきました。結局ほとんど着ないし、クローゼットの場所を取るし、毎回こういう後ろめたさや逡巡を生むし、残すデメリットの方がずっと大きいんですが。

こんなことを二十年近く続けてきた私ですが、一昨年くらいからかなり断捨離できるようになってきました。今年の秋で、着ない服はほぼ処分を終えました。クローゼットもすっきりです。

なぜバッサリ処分できるようになったかと言うと、H&Mのお陰です。H&Mでは、自社商品かどうかに関わらず、不要の衣類を店頭で回収してくれます。これが無意識に抱えていたいくつかのネガティブな気持ちを緩和してくれました。燃えるゴミに出すと服はゴミにしかならない。でもH&Mの店では、ゴミとして処分される衣類を減らすために回収しているので、、何かの形で活かされる(はず)。他店だと自社商品しか回収してくれないし、行政の廃品回収だと日程管理が面倒。私が断捨離できない隠れ要因であった「ゴミにするのは心が痛む」と「面倒くさい」を同時に解決してくれるのがH&Mだったわけです。さらに、H&Mでは、一袋の回収で五百円のクーポンがもらえます。これも私の貧乏性=「もったいない」を緩和する効果があったでしょう。

 

さてこの話、本題の「気をつけます」に依存しない仕組みの話とつながります。

気をつけないと実施できない作業や対策は、はっきり言って「面倒くさい」わけです。好きで面倒くさいやり方をする人間はいません。だから「次から気をつけて」という注意や指導は、イコール「本気で撲滅する気はないよ」と伝えているのと同じです。

私の話で言えば、「着もしない服をずっと取っておくのはスペースの無駄だ。毎回意識を向けるのも無駄だ。すべて捨てるべきだ」と私に説くようなものです。これは正論です。私も「そうですね。きっぱり捨てるようにします」と答えるでしょう。そして、一年後もやっぱり服はクローゼットに入ったままのはず。指摘は正しいけれど、面倒くさいという感情の問題を解決していないからです。

弊社では、若手が何度か同じミスをすると、真因と対策を考える機会をつくります。彼らが考えつく原因と対策は、ほぼ例外なく「理屈・べき論」がベースです。先輩や私は、本人が自覚していなかった「感情・気分」面から指導・助言するようにしています。

2022.09 Jin誌

この記事を書いた人

小島 庄司Shoji Kojima

多文化混成組織の支援家、Dao and Crew 船長。
事業環境のシビアさでは「世界最高峰」と言われる中国で、日系企業のリスク管理や解決困難な問題対応を 15 年以上手がけ、現地で「野戦病院」「駆け込み寺」と称される。国籍・言葉・個性のバラバラなメンバーが集まるチームは強いし楽しい!を国内外で伝える日々。